「ゆり連れ去り事件」の読み方

さよなら星

[71S3-V~VIII]で、ゆりの行方不明という事件が起こる。
発端から解決までを整理すると、次表のような時系列となる。

事項 掲載回
失踪当日 すずらん、藤研究所に初レッスンで訪問。ゆりは自宅で留守番。 71S3-IV
夕方の帰路、すずらんはひろみに片足跳二千回挑戦される。
その夜、白川医師がすずらんを診断。帰宅時にゆりの失踪が発覚。 71S3-V
翌朝 警察(すずらん自宅地域の管轄署)に届出。「そのまま二三日たち」[54]
数日後
(二三日後?)
すずらんは藤研究所に居場所を移す。生徒の集団退団。
「その日の夕方」[69]すずらんが浜辺から藤研究所に戻り、送られてきたゆりのリボンを発見。
その日の夜、藤研究所の地域の管轄警察署(神奈川県警?)に通報。 71S3-VI
翌日 藤先生、生徒募集のポスター貼り。[29]で数日経過。
数日後
(四五日後?)
高峰絵里と故・高村先生の生徒たちが藤研究所に入る。
「その夜」[67]脅迫電話。五百万円の身代金要求。
翌日
(or 数日後)
藤先生、高峰氏に五百万円を借金。その夜犯人から「あすの夕方」[19]身代金持参を指定。 71S3-VII
翌日 藤先生が警察に連絡した事が犯人に知られる。その夜にゆりが藤研究所に戻る。
翌日 ゆりの戻った翌日[59]、藤先生は高峰氏に五百万円の借金延期を申出る。夜、ゆりを連れ去った婦人が藤研究所付近に現れる。
すずらん、婦人より連れ去りの真相を聞く。入れ違いに藤先生帰宅。母を北海道の療養に送る提案。 71S3-VIII


〈『星』シリーズ〉の誘拐エピソードは、本作のほか『かあさん星』[72S2-I~III]でも描かれるが、『さよなら星』『かあさん星』連載期の前後には、身代金要求を伴う児童誘拐事件がしばしば新聞やTVニュースを賑わしていた。

〈『星』シリーズ 〉前後の世間を騒がせた
昭和の主な未成年児童誘拐事件一覧
事件 児童の年齢 身代金
1955 トニー谷の長男誘拐事件 6歳 200万円
1960 雅樹ちゃん誘拐殺人事件 6歳 300万円
1963 吉展ちゃん誘拐殺人事件 4歳 50万円
1963 狭山事件(殺人 16歳 20万円
1965 元俳優による誘拐殺人事件 6歳 500万円
1969 正寿ちゃん誘拐殺人事件 6歳 500万円
1974 津川雅彦の長女誘拐事件 5ヶ月 200万円
1974 美弥子ちゃん誘拐殺人事件 6歳 200万円


これら誘拐事件は、多くの場合「高額な身代金要求」と「被害児童の殺害」を伴い、幼い子供を持つ親の不安と恐怖はもちろんの事、児童にも幼稚園や学校の行き帰りや外で遊ぶ際に注意喚起がなされていた。このエピソードはそのような当時の世相を反映した一場面といえるだろう。

『かあさん星』のターちゃん誘拐の奇妙さは別に論ずるとして、本作におけるゆりの誘拐(正確には「連れ去り」)にも辻褄の合わない奇妙な点がいくつか見られる。本小論では、その一見整合しない謎の部分について、作中に提示された手がかりをもとに可能な限り筋道の通るような読み解きを試みるものである。

1. 失踪の現場の謎

[71S3-IV : 23~25]では、すずらんは自宅に戻り、まだこの頃は自宅から藤先生宅に通っている。さらにすずらんが研究所の生徒と片足跳びを競った日、ゆりは自宅で留守番をしている (*1)

そのまま読めば、ゆりの失踪は自宅かその附近で起こったと考えるのが、読者視点での普通の感覚となる。
しかし、その後の脅迫状(ゆりのリボン) (*2)や、脅迫電話 (*3)の宛て先が「藤バレエ研究所」として描かれる点、さらにゆりを連れ去った女性の「この家(藤研究所)の前を通りかかったとき、遊んでいるゆりちゃんを見て」という証言 (*4)が、事件の有様を複雑なものにしている。

ゆりの連れ去りが自宅付近以外、就中「藤研究所前」で起きたとする場合、本編では描かれない行間に「ゆりが自力で藤研究所に向かった」伏線を考える必要があるだろう。以下にその経過を想定した仮説を列挙してみる。

  1. ひろみ(藤バレエ研究所の生徒)と「片足跳び二千回」を競った日 (*5)、すずらんはすぐ帰らずに母の入院する病院に立ち寄っている (*6)。ここですずらん自身も白川医師のレントゲン検査を受け即日診断を聞く (*7)。そのため夜暗くなってから帰宅 (*8)

  2. 一方、すずらんの帰りが遅いのを心配したゆりは、夕食の準備をしようと外出する。食事に関しては、すずらんが一週間不在の時も自力で食事を用意していたり (*9)、またホットケーキを焼く (*10)など、自分から進んで行動する場面がこれまでにも見られる。そしてまた、もしかしたら姉に途中で会えるかもしれないと考え、駅前まで足を運ぶ。

  3. ゆりは、姉が藤先生の研究所に出掛けている事を知っており、またそこへ向う道筋や電車の乗り方も知っていた(母の見舞などで何度か通っている)。「おねえちゃまを驚かせようかな…」といった軽い気持ちで、電車に乗って藤先生宅に向う(ゆりのちょっと大胆で傍迷惑ないたずら心は本編序盤の仮病場面 (*11)にも見られる)。

  4. 藤先生宅の前に着いたゆり。しかし生徒達は帰宅した後で、すずらんも先生も不在。ばあやさんもたまたま出掛けていたかで、研究所の門扉は閉ざされていた。中に入る事の出来なかったゆりは、ひとり門の前で待つほかはない。

  5. ゆりが所在なく一人で遊んでいる時、ある女性が通りかかり、ゆりと言葉を交わす。少しばかり打ち解けて「ここで待っていてもつまらないでしょう。おばさんの家に来ない?」ゆりは「ママにとってもよく似ていた」 (*12)その婦人に心を許して着いて行ってしまう。

  6. ばあやさんの帰宅は入れ違いで、ゆりが訊ねて来た事など気付く由もなかった。

  7. その後、夜遅く帰宅したすずらんは、ゆりの姿が見えないので慌てて探し始める (*13)。近所にも見つからず、翌朝警察(地域の警察署)に連絡。自宅周辺からの足取りをつかむのに二三日経過 (*14)。電車に乗って藤先生宅に向った事が判るが、藤先生宅前からの目撃証言などがなく、捜査が難航する。
    この二三日のうちに、ゆりの失踪は藤先生に伝えられ、すずらんは失踪の現場近くと思われる藤先生宅で待機する事に (*15)

なお、先立つ[71S3-V : 45~53]を最後に、すずらんの自宅場面は本編に描かれない。すずらんの拠点は以後、完全に「藤バレエ研究所」に移る。

2. 連れ去り女性の弟の謎

連れ去った女性は、ゆりを帰し難く何日も手元に置いてしまったものの、できるだけ早く彼女をもといた場所に返すつもりでいた。
しかし、それをさらにややこしくしたのが彼女の弟なる人物である

本編では声のみで存在を示すこの男性は、ゆりの前にも姿を見せた形跡がない (*16)。言い換えれば脅迫電話の「おねえちゃま」の声 (*17)が、本当にゆりの声である可能性はほぼあり得ないことになる (*18)

また、一連の脅迫が弟の出来心によるものとした場合、いくつかの疑問が浮上する。
藤バレエ研究所の住所と電話番号は、第三者でも「職業電話帳(現在のイエローページ)」で簡単に調べがつく。しかし問題は、弟が次の「ゆりとすずらんの関係を特定する重要な情報」を、どのような手段で知り得たかという謎である。

  1. ゆりの姉が「北川すずらん」という名である事実
  2. ゆりがすずらんを「おねえちゃま」と呼ぶ習慣

また、最初の脅迫状として届けられた「ゆりのリボン」を、どのような手段で入手したのか。

当時の様相などを想定して、前後の整合性を考え併せつつ、次のような仮説を立ててみる。

  1. ゆりを連れ去った女性は、この事が誘拐と取られかねないことは充分承知をしていて、いずれお詫びするつもりで、仮の連絡先としての藤先生宅の住所と電話、ゆりから聞き知った姉すずらんの名前などを控えておいた (*19)。ゆりの姿を見られてしまってはもちろんまずいので、出来るだけ家の中にかくまうようにしていた。

  2. 女性は亡くなった自分の娘 (*20)のリボンを、ゆりのリボンと付け替える。この外されたゆりのリボンは、居間、あるいは娘の遺骨(あるいは位牌)のある仏壇など、来訪者の見えるような場所に放置されていた (*21)

  3. ところで、この女性には自宅の比較的近所に住む(ゆりの前には姿を見せていない理由)弟がいた。互いに頻繁に訪問する習慣があったのかもしれない。妻帯者か男やもめか、ゆりと同じ年頃の娘を持っている。

  4. この弟が、突然姉の家を訪れる (*22)。いつもと応対の様子が違う姉に不信感を抱くが、普段見慣れないリボンを見つけ「この見慣れない子供用のリボンは誰のものだ」などと問いただす。

  5. 問い詰められた女性は「誰にも言わないで」と懇願し、事情を話す。

  6. 弟は経緯を伝え聞くうちに「姉さんは連絡しにくいだろうから、俺がうまく話して円くおさめてやろうか」と、何処から連れ出したか、誰に連絡すればよいかを聞き出す。

  7. だが「どんな子なのかちょっと会わせてもらえないか」という要求にはさすがに女性も応じかねた。さりげなく自分がゆりの部屋に行くので、その時に襖の間からでも見てもらう事に。

  8. 部屋に入り、女性とゆりの交わす会話から、ゆりが姉(すずらん)を「おねえちゃま」と呼ぶ特徴を記憶にとめる。

    「“おねえちゃま”か。こりゃいい家の子供に違いない…」

    身代金要求の誘惑に背中を押された瞬間でもある。

  9. 弟は周到に隣りの市の郵便局から、聞き知ったすずらんの名前宛に、こっそり拝借したゆりのリボンを封入して投函した。

  10. 藤バレエ研究所の生徒集団退団の日の夜、ゆりのリボンが藤先生宅のすずらん宛に届く。 警察に通報、藤先生宅の地域(神奈川県警管轄?)の事案として捜査されることになる。

  11. 数日後、藤研究所に故・高村先生の生徒が大量移籍した日の夜、すずらんのもとに脅迫電話。この脅迫電話で、すずらんが聞いた声は、弟の娘のものだった「おねえちゃま」の一言だけでその主がゆりであると思い込んだすずらんは冷静さを失ってしまう (*23)。弟は計画がうまく運びそうなので身代金500万円を要求する。

  12. 先に示した一覧のように、世間で注目された児童の誘拐事件は、多くのケースでは殺人をともない「誘拐=命の危険」という印象は色濃かった。また昭和45年の平均年収は94万円。この500万円という身代金が(特に子供にとって)いかに法外な額であるか、そしてそれがどれほどすずらんを絶望の淵に立たせたかは想像に余りある。

  13. 翌日、藤先生は身代金準備のため、高峰氏に500万円を借り受ける。

  14. その翌日の夜が、女性の弟が身代金受け取りに出掛けた日となる。
    この日、女性はゆりが初めにつけていたリボンが見当たらない事に気付く。部屋中を探してみたが見つからない。何者かに持ち出されたのではないか、と思い当たったのが先日来訪した弟の事だった。まさかと思い弟宅を訪れた女性は、そこで脅迫の事実を知り(残されたメモ、ゆりの声真似をさせられた娘の証言 etc. 様々なストーリーが想定されよう)、仰天してゆりを藤先生宅に連れて帰った。勿論、事が事だけに、門前まで行かずに途中で別れたのだろう。

  15. 一方、弟は身代金受け取りに出向いたものの、すずらんとの待ち合わせ場所周辺に監視の眼が光っている事に気付く。脅迫電話の事は警察に通報されたものと知り、計画を変更、近くで遊んでいる子供にすずらんにメモ書きを渡すよう頼み、その場を去る。帰ってみると、娘から「伯母ちゃんが来てかくかくしかじか」と聞いて、慌てて姉宅に向うも、すでにゆりは藤先生宅に帰された後であった。

  16. 翌日夜、女性は人に知られぬように、以前ゆりと出会った藤先生宅の前に佇んでいた。自分の軽率な行動で大事になってしまった事に対するお詫びのためである。幸いこの日の藤先生宅には大人が不在で、すずらん姉妹だけだった。相手が子供だけに(しかも人のよいすずらんが相手である)事情を話してもそれほど追求される事もなく、かえって慰められてしまい、女性はとりあえず安堵して帰路に着いた。 (*24)

  17. しかしほぼ同じ頃、弟宅には略取誘拐の容疑で警察の手が回っているとも思われる。

  18. なお、身代金目的誘拐の罪は重い。

    【刑法第225条の2(身の代金目的略取等)】

    1. 近親者その他略取され又は誘拐された者の安否を憂慮する者の憂慮に乗じてその財物を交付させる目的で、人を略取し、又は誘拐した者は、無期又は3年以上の懲役に処する。
    2. 人を略取し又は誘拐した者が近親者その他略取され又は誘拐された者の安否を憂慮する者の憂慮に乗じて、その財物を交付させ、又はこれを要求する行為をしたときも、前項と同様とする。

  19. 本件はゆりの無事保護をもって幕引きとなった。

3. 連れ去り女性に関する補足

[71S3-VIII : 13~15]の女性の告白によれば、彼女は「一か月ほど前、交通事こで子どもをなくし」た、とある。つまり一般的に見れば、この「連れ去り」はその交通事故死した子供の服喪期間であり、“四十九日”法要もまだ終えていない時に起こった事といえる。別記のようにゆりの失踪期間を2週間前後とした場合、「連れ去り」は女性の子供の事故死からほぼ2週間後に発生している事になり、葬儀を終えてまもない頃、子供の死を受け入れられず心身ともに憔悴しきった中での“出来心”だったのかもしれない。それゆえ、女性はゆりに対しては死んだ子供の代わりとして非常に細やかな優しさで接したものと思われる。また実際にゆりの方でも、[71S3-VIII : 3]で女性の再来訪を極度に怖れるすずらん (*25)の様子を分かりかねる表情で、ゆりにとっては連れ去った女性と過ごした時間は決して怖ろしいものでも嫌なものでもなく、かえって今まで抑えていた“誰かに甘えたい気持ち”を満たしてもらえた貴重な時間だったのではないだろうか。

そのような視点に経つと、この不可解な事件にも何かしらの情感の余地の味わいが読み取られるだろう。

4. 失踪から保護までの日数、季節など

ゆりの失踪から無事保護までは、先出の時系列表にも見る通り

  1. 語り「二三日がたち」 (*26)の正確な日数

  2. 脅迫状(ゆりのリボン)受取 (*27)から高峰絵里登場の日 (*28)までの日数

  3. 脅迫電話 (*29)の後に高峰社長への借金申し入れをする日 (*30)までの日数を翌日とするか数日後とするか (*31)

上記3点の日数の数え方により多少の伸縮はあるものの、他の部分は比較的テンポよく立て続けに進んでおり、ほぼ二週間(あるいはそれを多少超える程度の日数)と見ることができるだろう。

季節は、「小三」本誌でのエピソード掲載期間が五〜八月号と長期にわたり、登場人物の衣服などで判断するのは難しい。その後の展開を考えれば6月を過ぎた頃と見るのが自然だが、失踪が藤バレエ団の生徒と片足跳びを競った日の夜であり、その頃の背景が春頃と見られるため、どちらに時間軸を合わせて考えるかで解釈の余地がある。いずれにせよ、事件解決後に続く『あしたの星』オーディションのエピソード(8~9月頃を想定か)との間にはある程度の期間の長さが経過するものと思われる。

5. 事件がその後の物語にもたらした影響

藤先生が身代金として高峰社長から用立てた500万円は、母の北海道での療養のために借金として残された。
しかしこれが、後々すずらんと絵里の関係を歪め、またすずらんはこの借金のためにテレビドラマとの係わりで翻弄され、バレリーナへの道がさらに隘路に入ってしまう。

この「ゆり連れ去り事件」は
藤先生の言葉のように「何もかもうまくいっ」たどころではなく、
これ以降に新たな面倒と禍根を引き起こすもととなった

別の因縁ものの発端
ともいえるだろう。

F3-Suzuran.png


  • 最終更新:2018-11-09 20:02:55

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