68S2-XI (小二・十一月号)

白鳥の星
掲載 「小学二年生」昭和43年十一月号
頁数 扉+見開き(前回までのあらすじ)+広告+21p.
総コマ数 76
舞台  
時期  
梗概 死を想い、当て所もなく不自由な目と足で歩き続けるカンナ。湖の畔にさしかかり、湖面に浮かぶ白い白鳥を眺めていると、白鳥の羽ばたきとともに見えない目がはっきりと見えるようになってきた。「これで足さえ治れば、また踊れるわ」希望を取り戻して病院に戻るカンナ。一方、パリの父は、母がカンナの北海道への転校を画策していた事に激怒し「君はカンナがそんなに憎いのか。あんなに可愛がっていた昔のことを思い出してごらん」と妻に詰め寄る。母はカンナの生まれた頃からの思い出を巡らせ、涙ながらに「病院でのカンナの取り違えを知ってから、わざと意地悪をして、カンナの心が自分から離れていくようにしようとした。北海道にあの子を送ったのは別れる準備だった」と告白する。父は「カンナの事は、秋山さんが言ってくるまてそっとしておこう」と、現状を無理に変えない考えを伝え、病気のカンナのもとに早く帰ってあげてほしい、と妻とあやめを帰国させる。優しさを取り戻した母の帰国。その頃北海道では、視覚を取り戻したカンナが、折からの地震被害で大忙しの病院を手伝っていた。たまたま聴いていたラジオから飛行機墜落のニュースが流れる。そして帰国途上の母とあやめがその飛行機に乗っていたのだった…
扉絵 4色/「谷ゆきこ」/“かなしいバレエまんが”云々のアオリ文なし

優しさを取り戻した母の飛行機が行方不明に…

前回までのあらすじ

「カンナちゃんは、ある秋の日、ひとりでびょういんを出てしまいました」

北海道の夏が短いとしても、前回最終コマから続く場面であり、カレンダーの上ではまだ夏休み期間中である。

[12] 「きれいなみずうみには、まっ白な白鳥がうかんでいました」

本来冬の渡り鳥である白鳥が、本作では例外なく夏の情景の中で描かれる点に留意すべきだろう。

[27~28] 地震

掲載回の近くでは十勝沖地震が記憶に新しかったものと思われる。

[34] 「そのころパリでは、おとうさんがかんかんにおこっていました」

その後の〈『星』シリーズ 〉で欠乏しがちな“父性”と、主人公周辺で理性的な判断のできる分別を持った男性の描かれる貴重な場面。

[42] 「小学校にはいってからは、いじわるばかりしているじゃないか」

カンナのバレエレッスン通いが物語開始時の10ヵ月前とした場合、小学校入学時から母がカンナに対して冷淡になっていた事との整合性を考慮すれば、父の強いバックアップがあって、バレエを習う事がかろうじて認められていたとみるべきだろうか。

[52] 「カンナをずっとうちにおくわけには…」「やっぱりむりだろう」

この台詞をどのように読むか(それぞれのニュアンスの捉え方)は、読み手によってさまざまな解釈が可能となるだろう。
ただ、後続するコマの父の台詞にある「無理に現状を変えず、現在のカンナの病気を気遣う」という常識的な決断に至った事は確かである。

[54] 「カンナのことは秋山さんがいってくるまでそっとしておこう」

父の最終判断は、その時が来るまでは家族としての関係を無理に断たないという常識的なものである。

[75] 「その二名の方は白鳥みずよさんと、お子さんのアヤメさんです」

白鳥家の母の名前の初出。

F1-Canna.png


  • 最終更新:2019-03-30 07:31:06

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