白鳥の星 |
掲載 |
「小学四年生」昭和45年六月号 |
頁数 |
15p.(タイトル見開き含む) |
総コマ数 |
50 |
舞台 |
ほたるが池/秋山夫人宅/山の村 |
時期 |
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梗概 |
カンナとさゆりを呼び出した電話の主は道子だった。彼女はさゆりのなりすましを疑い続け、たびたび白鳥家に謎の電話をかけていたのである。道子の追及に窮するさゆりだったが、カンナは火事の火傷跡を示し「私はさゆり」と告げて山の村に帰ってゆく。その出来事の一部始終を聞いた秋山夫人は真実を確信し、カンナを連れ戻すために山の村へと急ぐ。和田先生の墓前で「貴女は本当のカンナちゃんでしょう?」と訊ねる秋山夫人と返事をためらうカンナの前に、ふいにさゆりが姿を見せる。 |
扉絵 |
見開き単色、カンナのアップ、バレエ・ポーズ&人物紹介/「谷ゆきこ」名義/「かなしいバレエまんが」/続く1p.分とともに人物紹介ページを兼ねる。 |
「私はさゆりだ」明るく言い切って去るカンナ…秋山夫人は彼女を追って再び山の村へ
☆ 人物紹介と前回までのあらすじ [扉、1~3]
[扉] 人物紹介①
白鳥カンナ「ほんとうは秋山かおりのむすめ。病気になって、過去の記憶を失っている間に、山の少女さゆりとまちがわれますが、病気がなおってからも、さゆりのままでいます」
[1] 人物紹介②
秋山かおり「カンナが実のむすめと知って、いとしく思いますが、みんなのしあわせを思って、母だと名のりません①」
秋山道子「ほんとうは、白鳥家のむすめですが、何も知りません。カンナと小さい時からバレエをいっしょにならっています②」
原田さゆり「山の少女。カンナとまちがえられますが、都会の生活にあこがれていたさゆりは、そのままカンナになりすましています」
①:生後間もなくの嬰児取り違えと、カンナと秋山夫人の母娘関係の事実は、当事者の秋山夫人と白鳥家の両親、北海道の秋山夫人の妹夫婦とカンナの祖父、そして偶然に知ってしまったカンナ本人以外には作中では秘密になっている
(*1)。この事は読者の視点ではつい忘れられがちだが、次回(最終回)結末で(特にさゆりとの関係において)大きな意味を持つ。
②:カンナと道子が知り合ったのは「小さい時から」と言うほど昔ではない(後述)。
★ ほたるが池でなりすましの事実を糾明する道子 [4~29]
[5] 「まって!電話をかけたのはわたしなのよ」
ここで[69S3-X]から白鳥家にかかってきた謎の電話の主が明らかになるが、前回でも疑問を呈したように、カンナはもちろんの事、さゆりも大空バレエ団に通い始めてから数ヶ月間は道子と日頃身近に接していたわけで、声の主が聴き分けられなかったというのは(電話の音声の状態云々があるとはいえ)少し妙な感じを覚える。
[12~15] さゆりのなりすましの証拠を挙げる道子
道子がさゆりのなりすましを疑い始めたのは、[69S3-X : 50~]の大空・和田両バレエ団の合同練習の日からと考えられる。ここで原田さゆりとして姿を現したカンナと同じスタジオで練習する事で、二人の踊りの資質の決定的な違いを感じ取ったのではないか。母・秋山夫人とのやりとりも不自然で、[69S3-X : 78]の以前のカンナらしからぬ反応に別人であることを確信したのだろう。
1.「病気がなおったといって研究所へはじめて来た日、あなたは、わたしを知らなかったわ」
[69S3-X : 25~30]参照。ただ「
小さい時からなかよしだった」と言うが、カンナと道子の初めての出会いは
[68S2-V : 57]で
2年前の初夏(二人の誕生日の前)のはず。
カンナと道子の関係を振り返る
カンナと道子との友達関係は、初めての出会いの年の夏にカンナが北海道に向かって以後、母を巡って険悪になり、道子のカンナに対する意地悪はその年のクリスマスの事故の日まで続く。それ以後はカンナは記憶を失い、今回のこの場面を遡る前年秋までのほぼ一年近く、大空バレエ研究所に顔を出していない事になる。したがって実際のところは、二人はそれほど長い付き合いというわけではない。
ただ、道子にとってカンナと友情を結んだ二ヶ月ほどの期間は、他の友達と比べてはるかに深いものであったに違いなく、また、自分の邪推から大切な友達を心身ともに傷つけてしまった事にも深い責任を感じていて、その事が「さゆりのカンナなりすまし」の究明に彼女を駆り立てているともいえる。
2.「カンナちゃんは、バックジャンプがじょうずだったわ。だのに、あなたはうまくできないじゃない」
[68S2-VI : 64~67]参照。「
カンナのバックジャンプ」は、道子が誕生日の前日にカンナと一緒に公園で練習した思い出の技。また、バックジャンプに限らず、たとえ病後というブランクがあったにしても、かつてのカンナには及ばないバレエの技術や、動かしがたい感性の繊細な違いの部分が気になり続けていたのだろう。
3.「だい三は白鳥のおきものよ」
この事に触れる事は、道子にとっては辛く苦い思い出でもある。ことに[15]で「いえる?いつもらったか、その時、何がおこったか……」と詰め寄る彼女の心にはどれだけの痛みが喚び起こされているだろうか。
しかしこの思い出は、カンナと母と自分自身の関係を確認するための大きな意味を持つ。そして、もちろんさゆりには「白鳥の置物」が何の事かは知るべくもない。
[16~17] 白鳥の置物の事を懐かしく思い出すカンナ
[17] 「あのおきもののおかげで、わたしはいのちびろいをした。でも、かわりに、あの白鳥のおきものは、こなごなに、こわれてしまった」
カンナ自身の記憶では[69S2-II]のお宮の場面までで途切れ、以後北海道に向かう途中で行方不明になるまでは記憶喪失と精神錯乱、原田さゆりとして取り違えられた経緯も曖昧な記憶にとどまっている。「いのちびろいをした」「こなごなにこわれて」は、[69S2-III : 37~40]の記憶の部分だろうか。
「白鳥の置物」のゆくえ
秋山夫人がカンナに贈った白鳥の置物は、山の村でカンナが火事に巻き込まれた時、白鳥に化身して彼女を救ったが、それ以来物語上に姿を表さない。地上での母娘の絆の象徴として描かれた「白鳥の置物」は、再びカンナの手元を離れ、彼女と秋山夫人との母娘関係はその後物語の最後まで公にはされず秘められたままとなるのである。
★ 道子から事情を聴いた秋山夫人は真実を確信する [30~42]
[30] 秋山洋装店
[39] 「でもね、はっきりしないものだから、だれにもいってなかったの」
★ 和田先生の墓前のカンナと秋山夫人 [43~50]
[44] 和田先生の墓前で手を合わせるカンナ
「わたしがかわりにしねばよかった」という台詞に、カンナの行き場のない哀しみと虚無が籠められている。和田先生の死以上に、彼女にとってバレエの舞台に立てない事は「自我の死」を意味するに等しい。