バレエ星 |
掲載 |
「小学三年生」昭和46年三月号 |
頁数 |
扉+20p. |
総コマ数 |
69 |
舞台 |
パリ |
時期 |
1971年2~3月(前号の続き)※コンクール後、本舞台まで研修期間はほぼ1~2ヵ月とみられる。1971年のイースターは4月11日で、「白鳥の湖」公演は四旬節期間中となる。 |
梗概 |
審査の日、アリア先生は候補外のかすみを抜擢する。しかしかすみは「舞台に出たくない」と告げてしまい、アリア先生はかすみの舞台を軽んずると取られかねない態度に思わず手を上げる。バーバラは取引が成功したとほくそ笑み、日本から持参してきた週刊誌をかすみに投げ渡す。かすみは「あなたに脅されたから舞台に出ないのではない。自分の力を試してみたかった」と応じるが、その自分の言葉の中に間違いを認め、お詫びのためアリア先生のもとに走る。幸いアリア先生はかすみの心中の事情を了解してくれていた。自室でかすみにコンクールの結果について「何も考えず、ただ一生懸命踊るあなたを選んだ」と語り、舞踏家として「強く正しく、美しく生きていく」事の大切さを説く。公演に向けて稽古に勤しむかすみ。そして迎えた本番の日、彼女は開演直前の楽屋で花田先生からの電報を受け取るーー「アーチャン ビョウキ オモシ スグ カエレ」…… |
扉絵 |
2色/「谷ゆきこ」/「★かなしい★バレエまんが」 |
かすみは「強く正しく、美しく生きていく」事を誓う
☆ これまでのストーリー説明
「アリア先生は、世界各国から集まった選手をテストして、その中から、かすみひとりを出場させることに決めました」
この一文だけを読むと、スポーツの選手権と勘違いしそうではある。
★ アリア先生との誓い [1~37]
[1] 「先生、わたし出ません…。出たくないのです」
前回最終コマの場面。
[3] かすみに手を上げるアリア先生
生徒に手をあげる先生の場面は〈『星』シリーズ 〉では数少ないが、その中には今日の視点ではパワハラとしか捉えられないような情景も描かれている。
この場面のアリア先生は、舞台を軽んじていると捉えられかねないかすみの言葉に“完全な舞踏家”として許しがたいものを感じたのだろう。ただ、どちらかといえば感情的な反応で手が出てしまったようで、その後の
[10]に後悔を含んだような寂しげな姿を見せている。
[4] 「わたしは、あなたをみそこなっていました」
前後の文脈では「見損ないました」が正しい表現だろう。既出場面にも同様の誤用が見られる。
「見損なった」は「がっかりした」と言い換えてもよいかもしれない。
そしてかすみはアリア先生の反応に驚いている。
[5] 「きょうはこれで終わります」
そしてアリア先生は、その日の試験そのものを打ち切ってしまう。このあっけなくも唐突な“幕引き”に、かすみはさらに戸惑っている様子。
この一連の出来事に繰り広げられている師弟の心のうちについては、別途の考察に譲る。
[6] 「うまくいったわ」
しかし、物事の表層のみを捉えているバーバラは、単にかすみの舞台出演が白紙にされた事実のみで満足している。
[9] 投げ出される週刊誌とかすみの表情
前回
[6]の描写では、かすみの机は窓に面していない。宿泊する部屋とは別の場所(学習室など)だったのだろうか。
かすみはあまり相手に対する不快や怒りの感情を表情に出す事がないが、このコマと前回
[48]では珍しくバーバラに対する嫌悪を露わにしている。
[10] 落ちる週刊誌とバルコニーに佇むアリア先生
後ろ姿が寂しげに見えるのは、かすみの舞台を軽んずると見られても仕方のない態度に
[3]で思わず手を上げてしまったが、冷静になって考えて見て「もう少しあの子の言い分も聞いてみるべきだった」と後悔しているためか。かすみがアリア先生にとっての“ダイジナタカラモノ”である事を思い起こすと、この場面のきめ細かな情感の味わいを受け止める事ができるだろう。
[11] 「わたし、あなたにおどかされたからぶ台に出ないといったんじゃないわ」
[10]の雑誌が落ちてきたのに気づくアリア先生。おそらくかすみとバーバラが部屋で何やら言い合っている事には気づいているだろう。そして、落ちてきたものが以前に日本で見たことのある雑誌であることを知り、かすみの出演拒否の理由がバーバラとの確執にあり、その材料に過去のゴシップが利用されていた事を了解する。
[12] 「わたしは、自分の力をためしてみたかったの」
かすみにとっての先ほどのコンクールは、自分の今まで身につけ磨いて来たバレエがどこまで国際舞台で通用するものなのかの試金石であった。確かに「勝ち負け」の競争心はそこにはない。しかし、かすみはそれも彼女が本心から求めているバレエから少し逸れていることに気づく。
[15] 「わたしは、たいへんなことをしてしまった」
バレエは自分だけで踊るのではない、舞台が多くの人々との関わりの中で作り上げられるものであることを、先のコンテストでのアリア先生への受け答えの時に忘れてしまっていた。その事のお詫びはアリア先生に伝えなければならない。
プロフェッショナルの自覚 ーー かすみの涙とアリア先生の平手打ちの理由
前回最終コマ(および今回[1])でかすみが涙ぐむ理由は、出演拒否の理由が[11]で語られるように「バーバラに脅されたから」ではないとすれば、もう少し繊細な思いが入り混じってのものではないだろうか。
かすみとしては、本心では舞台に出たい強い気持ちがあっただろう。アリア先生がそれを積極的に後押ししてくれるとなればなおさらのことである。
しかし彼女は「舞台の裏側の醜さ」や「競争心の浅ましさ」を目の当たりにして、衣装部屋に閉じ込められている間、たとえ舞台出演が決まったとしてもそのようなしがらみが続き、その中に自分の身を置くという事に対する嫌悪感も同時に抱いていたのではないだろうか(後出[27])。舞台に出る事それ自体への疑問を抱いてしまったかすみは、それならばコンクールでは、実際に公演に出演できるかどうかは別にして、持てる力を出し切ろう、とひたすら無心に踊った。そしてその事がアリア先生がかすみ一人を選ぶという結果を呼び込んだといえる。
その時のかすみの心中では、認められた喜びとともに、その後に待っているであろう「舞台の裏側の醜さ」との対峙への嫌悪がせめぎあっていたのではないか。「舞台に出たくない」は、彼女が身を震わせ涙ぐむまでに思いつめた末の言葉と捉えるべきであろう。
しかし、舞台人としての長い経験を積んだアリア先生から見れば、そうした感傷はごく些細な迷いと映ったに違いない。「初めから舞台に出ないつもりでテストを受けたのか」との問いかけに「はい」とありのままを応えたかすみの返事は、理由はどうあれプロフェッショナルな舞踏家として無責任な態度と見えたのだろう。アリア先生がかすみに手を上げたのは、そうしたかすみの中の“プロ意識の欠如”に対する無意識の叱責とも捉えられる。
そしてかすみは、[14]でアリア先生の「見損なった」という厳しい言葉を思い起こし、舞台に生きるバレリーナとしての自覚がまだ未熟であったことを悟るのだった。
[22] 「かすみちゃん、これを気にしていたのでしょう」
先ほど自分の目の前に落ちて来た雑誌は、前年の日本滞在時に、かすみと自分の関係に間違って打ち込まれた楔でもあった。その時に生じた互いの苦い思い出は、ここで解きほぐされることになる。
アリア先生は、かすみが「コンテストに合格して出演を承諾したら、バーバラに日本でのスキャンダルを周囲に触れ回られるのではないか、と怖れている」のでは、と訊ねる。
[23] 「ちがいます。その記事はみんなうそです。だから、わたしは気にしていません」
心底から気にしていないわけではないだろうが、今のかすみは[70S3-XII : 80]でアーちゃんに誓った言葉「(心正しく生きて)もっと強くなる」を噛みしめているのではないだろうか。
かすみに対する誤った風評は、その後の場面でも再び彼女を非情に打ちのめす事になる。
[27] 「わたしは美しいぶ台のうらにある、みにくいあらそいがいやだったのです」「でもね……」
かすみは前回の衣装部屋で感じた「舞台裏の醜さ」に対する心情を吐露する。アリア先生は彼女のそうした純真な感性を認めつつ、「でもね…」と本作で示される最も重要な“美学”を続くコマで語り始める。かすみとアリア先生の近しい間柄の対話にアンティームな時間が描かれる、心温まる箇所とも言えるだろうか。
アリア先生の注ごうとしているのは後続場面から紅茶のように思われる。
[28] 「きょうそうは、どの世界にもあります。でも、最後に勝つのは、正しい美しい心の持ち主よ」
この言葉は、舞踏家としての長い経験を積んだアリア先生の言葉の重みがある。いかなる天才的な芸術家も、その人生の中では迷いや苦しみ、疑念や挫折に向かい合わなければならない。アリア先生はそうした試練を常に「正しい美しい心」を持ち続ける事で乗り切って来たのだろう。この事は、[70S3-XII]で示されたかすみの母の「心正しく生きる」姿勢にもつながっている。
[29~31] アリア先生のコンテスト評
アリア先生は、バーバラや他の候補者の実力を認めつつも、その心の底に潜む思いが彼女たちの舞踏に表出していた事を見逃していなかった。[70S3-XII]で提示された「美しい心」の意味と、かすみとバーバラの平行モノローグに見られるそれぞれの心理の動きが、この回でひとつの倫理観と美学に収斂される。
[30] 「みにくいまでのきょうそう心」
既出のように、アリア先生は競争心そのものを否定してはいない。しかし、舞踏を芸術とする以上、そこには美がなければならず、そのためにはあえて競争心を捨てる“無心の境地”に至る事も大切になってくるだろう。
[31] 「だから、わたしはあなたをえらんだのです。何も考えず、ただ、いっしょうけんめいおどるあなたを」
かすみはその“無心の境地”を本能的に掴み取り、それを自身の舞踏の中に昇華したーーアリア先生の美学と一致した彼女の舞踏への姿勢が、ただ一人の合格者として選ばれる結果に導いたといえるだろう。ここでかすみは真実にアリア先生の美学を受け継ぐ舞踏家として成長し始めたのである。
なお当然ながら、ここで美学とされる“無心”とは、ただ何も考えない無定見
(*1)を意味するものではない。
[32] 戸口から去るバーバラ「まけた!かん全にわたしのまけだわ」
アリア先生の心のうちの考えが自分のこれまで弄した小細工の及ばない高みにある事と、その高みに素直な心を持ち続けて達しつつあるかすみとの現時点では超えられない大きな隔たりを思い知らされたのだろう。動機はどうであれ、やはりバレエの道を目指すバーバラにしてみれば、その場にいたたまれなくなってしまうのも無理はない。
しかし、もし彼女がもう少しアリア先生の話を立ち聞きしていたら、今後の物語にまた別の展開が見られたかもしれないのに、と惜しまれるところではある。
[33,34] アリア先生の“予言”
しかし、アリア先生は指導者としてバーバラに対してもその成長の可能性を期待している。
[33] 「バーバラが美しい心を持ったとき、あなたにとって、いちばんの強てきになるでしょう」
“強敵”という表現は“ライバル”と読み換えるべき部分かもしれない。アリア先生は、現在歪んだ関係にはまり込んでしまっているかすみとバーバラに、互いに切磋琢磨して成長し合う間柄となる事を求めている。
[34] 「そして、しょう来、日本のバレエ界をせおって立つのは、かすみちゃんか、バーバラのどちらかになるでしょう」
そして、かすみとバーバラの将来にかけるアリア先生の期待の大きさ。
しかし、そこまでの成長に至るには、バーバラの心の底の闇が振り払われねばならず、物語としてはもう少し時間がかけられねばならない。
[35~37] 「強く正しく、美しく生きていく」誓い
本作で最も美しい場面。舞踏家として「強く正しく、美しく生きる」は、その後のかすみの生き方の芯となる。
★ バーバラたちの帰国、そして続けられるレッスン [38~50]
[38] それぞれの国へ帰るコンテスタントたち
左端の階段を降りるシルエットは、彼女たちを見送るかすみの姿だろう。
[39] 和やかに別れの挨拶を交わすかすみとコンテスタントたち
厳しいオーディションを経た仲間としての友情が芽生えたようである。
後出の帰国後の花田研究所の仲間に祝福される場面にも描かれるように、かすみは(例えば『さよなら星』のすずらんのように)決して他者からの妬みを受けやすい性質ではない。
[40] バーバラに声をかけるかすみ
[33,34]のアリア先生の言葉を胸に刻むかすみは、バーバラとの関係を修復したいと思っているのだろう。しかし、バーバラにはまだそこまでの心の余裕は生まれていない。
[42] かすみから視線を逸らす車中のバーバラ
バーバラが終始無言なのは、後に明らかになる『バレエ星』台本をかすみの荷物から持ち出したためか。
一方のかすみは、バスの出発する瞬間までバーバラとの和解を求めている。
[44~47] 本番に向けてのレッスン風景
コンテストがかすみたちのパリ到着後2週間(半月)として、その後3月の本公演まで、ほぼ2ヶ月ほどの準備期間と思われる。「ひるも…夜も…一日の休みもなく…」とある通り、かすみたちの稽古は毎日続けられ、その間は『バレエ星』の台本にかかる暇などなかったのだろう。そしてその事は、かすみの帰国後に思いがけない災難として降りかかってくる。
[50] かすみと同室の少女
[58,60]にも描かれる彼女は、かすみと同じく国際選抜に残った候補者の一人と考えるのが自然だろうか(これまでにそれらしい人物は描かれていないが)。
先の三人部屋の頃とは異なり、ルームメイトとして良好な関係を保っているようで読者をほっとさせる。当然ながら、かすみも床の上ではなくベッドで休んでいる。
★ 本番当日、明け方の悪夢 [51~60]
[51~56] 悪夢
[61~67] と同じ原画([63]以外)を用いて「現実となった悪夢」を描く。
[51,52] 会場のエントランスとロビー
[61,62]の現実場面としても再掲されるが、手すりや床デザインの空間を歪めるように波打つ描写が、続く場面のナイトメアの雰囲気を醸し出している。
[53] かすみの舞台衣装
このパリ・バレエ団版『白鳥の湖』では、白鳥のコール・ド・バレエは裾の長いロマンティック・チュチュを着用しているようである。
★ 楽屋に届く一通の電報 [61~69]
[68] 開幕ベル
パリの劇場の開幕ベルは、多くの場合日本よりも早めに鳴らされる(たとえばオペラ座では開演15分前位からベルが鳴り続ける)。
震える書き文字が恐怖感を煽る。学年を変わっての次号(四月号)へのヒキ。
[69] 次回予告
作者の仕事場らしき場所で、バレエ衣装(上記場面とは異なりクラシカル・チュチュ姿)のかすみと作者(白ヌキ髪の作者像はあまり見られない描写)。机上のインク(墨汁か)と並べて置かれる白鳥の置物は、前年8月「小四」誌で連載終了した『白鳥の星』のアイテムか。