71S3-V (小三・五月号)

さよなら星
掲載 「小学三年生」昭和46年五月号
頁数 扉+18p.
総コマ数 77
舞台 病院/藤バレエ研究所
時期  
梗概 母の幻を見たというすずらんを気味悪がってバレエ教室の生徒たちは逃げて行ってしまった。その日すずらんは足の検査を受け、「骨肉腫は固まっているから広がる心配はない」という診断結果を聞く。喜ぶのもつかの間、自宅に戻るとゆりの姿が見えない。必死で探すすずらん。一方、藤研究所では、すずらんの扱いに不満を抱くひろみたちが騒ぎ、全生徒が研究所をやめるという事態に。藤先生のもとに身を寄せることになったすずらんに宛てて謎の手紙。
扉絵 4色/「谷ゆきこ」/「かなしいバレエまんが/ゆりのシルエットが添えられている。

一難去ってまた一難…いなくなったゆり

「前号まで」[1~3]

[1] 「すずらんは、バレリーナをめざしていますが、左足を切らなければならないかも知れません」

昨年暮の藤先生との出会いから、少なくともほぼ3ヶ月は経過しているはずだが、この間のすずらんには、難病の疑いがあるにしては、足に関する治療や通院を続けている形跡がない(話題にも出てこない)のが不自然ではある (*1)

「片足縄跳び二千回」の真相 [4~11]

[4~5] 「ひろみたちのようすがおかしいので、来てみたんだが」

ひろみたちは一旦教室に戻り、そこでまた一騒ぎあったのだろうか。その時間に来ている他の生徒たちに、事の顛末を吹聴していたのかもしれない。

[6] 「先生、ママが… ママが…」

「藤先生にすがりつき涙するすずらん」の行動は、その後にも見られる「すずらんと藤先生の“依存ー被依存”関係」によるもので、この関係は徐々に“服従ー支配”という健全ではない方向に向かってゆく。〈『星』シリーズ 〉では、「主人公とバレエ指導者」の関係(子供と年長者)が「母と娘」とともに人間関係の基本構造となっているが、本作のみ「少女と成年男性」という条件(他の作品では同性同士)が加わる (*2)事も、そうした志向を助長させる。

[9] 「ママが心ぱいなので、びょういんへ行ってみます」

ママの幻が“見えてしまった”ため不安なのは理解できるが、すずらんは忘れてないだろうか ー この夕方遅い時間、自宅でゆりが留守番をしている事を。
藤先生は「それならぼくも行こう」と同調する。すずらんがゆりを家に残している事は承知しているはずだが、そうした面の配慮には無神経な性格であり (*3)、なおかつ彼の心中には別の心算が動いているようでもある。

そしてこの思いつきの寄り道が、すずらんに新たな事件をもたらしてしまう事になる。

[10] 「あのテストは、千五百回とべれば十分なんだよ」

「千五百回」という基準はどこから出て来た数なのか。「片足で持ちこたえる筋力・バランス感覚」の指標なのかどうか、その意図するところはよくわからないままである。
そして前回証明されたように、すずらんは普通に千五百回跳べるだけの持久力を持っている。読者はその事実を最終回まで記憶しておくべきだろう。

[11] 「きみがどこまでがんばるか、ためしてみた」

「主人公の本気を試す先生」という場面は、他の〈『星』シリーズ 〉にも見られないことはない (*4)。また、当時の「スポ根」でありがちな場面ではあるものの、この「片足縄跳び二千回」という、訓練としても短絡的で無茶すぎる運動の強要は、そうした教育的配慮を越えた問題のある指導方法ではないか。

[11] 「ぼくだって二千回はとべないよ」「そうだったのですか…」

加えてこの台詞は、無神経で無責任。納得してしまうところがすずらんらしいが、ここはグーパンチを先生のボディに一発喰らわせて怒ってもいいところ。

謎診断:骨肉腫は固まっていて拡がる心配がない [12~44]

[12] 病院の外観

前コマ[11]で道に落ちる影も長く、すでに夕暮れ時である。病院に着く頃はもう暗くなっている。

[13~14] 白川医師

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藤先生と懇意の医師で、それほどの年配ではない様子。母の担当医でもある。磊落な性格らしく、その点ではこれまで本作に登場した病院場面のとかく陰鬱になりがちな雰囲気を幾らかでも和らげる存在ではある。しかし、やはり後出のように、無神経なほどに大雑把なところが医師としては気になるところで、特にすずらんの母の療養に関連する一件では、藤先生との間に何かしら不透明なやりとりが交わされているような印象を受けなくもない。
この回のみの登場であるため、物語で語られない場面でのこの医師の実相は、読者にはわからないままとなっている。

[15] 「先生、ママのようすは?」「あいかわらずねむったままだが、かわったようすはないよ」

前回すずらんのみた母の幻が、彼女自身の主観が投影されたヴィジョンである事が裏付けられている。

[18] 病室に向かうすずらんを背景に密談する藤先生と白川医師のシルエット

ここで話している内容が、藤先生が[9]ですずらんに着いて行こうとした理由だろう。続く[23]でそれが明示される。

[23] 「白川先生にね、きみの足を見てもらうようにたのんだ」

相手が子供なので読み流してしまいがちだが、すずらん自身にことわる事なく即日の検査を決めてしまっているところが気になる。
こうした藤先生の独断専行は、その後の母の転院の場面でも見られ、すずらんに対する“保護者(=支配者)”の立場に次第に侵食しつつある表れとも読める。

[26,27] すずらんの今後を案ずる様子の藤先生

そもそも「足を切らなければならないかもしれない」という情報はすずらん本人からしか聞いていないため、藤先生もすずらんの足の現時点での正確な状態については判断しかねている様子。しかしそれであれば、なおさら「いきなり片足縄跳び」などという意味不明な方法を取らず、まず検査と、その後しかるべき対処と訓練法を考えるべきだっただろう。今、この時点に至っての検査というのも泥縄めいた印象ではある。
また、前回[71S3-IV : 21]では縄跳び二千回の課題をクリアした事で「僕が君を立派なバレリーナにしてみせる」と明言しているため、今更「バレリーナへの道を諦めさせた方がいいのだろうか」などと後戻りするのは無責任ともいえる(すずらんも多分納得しないだろう)。

[29~32] 再び何やら密談する藤先生と白川医師

この思わせぶりな場面は、すずらんでなくとも不安をただただ煽られる情景ではある。
ここで交わされたかもしれない二人の話の内容の管理人としての想像は、後出場面の補足としてまとめてみる。

[36,37] 「藤、ちゃんといってやれよ。かわいそうじゃないか」

診断結果は医師から伝えるべきではないだろうか。そうした医療に関する適当さ加減が、続くコマの骨肉腫に関する珍説につながってゆく。

[38~40] 「今のところ、こつにくしゅはかたまってきているから、ひろがる心ぱいはないよ」

白川先生の骨肉腫診断に対する珍説は、いくら小学生読者を対象とした漫画としても、また当時の一般的医学知識に照らしても、いい加減過ぎて医師の言葉とは思えない。 (*5)
ただこの場面を(無理矢理にでも)好意的に解釈すれば、「骨肉腫云々」は「そんな病気関係ないよ」と言った程度の白川先生のジョーク(としても、すべっている上に不謹慎も甚だしいが)とも読まれ、むしろ続く「当分病院通いだよ」の方が重要。その通院診療の中で別の疾患の予兆が発見され、その経過観察が必要となったとすれば、最終回への遠い伏線となる。

[40] 「ほんとうだとも。白川先生は名医だからな」

これまでの経緯の中で、すずらんの母の長期にわたる寝たきり状態の理由については、担当である白川医師が知らないはずがなく、当然そこに関わる原因のひとつとしての藤先生の関与も承知していると思われる。
そのような想定される背景を考えると、仲間内の何気ないお世辞のように読めるが、逆に藤先生とこの医師とのある種不透明な背後を感じさせるところでもある (*6)

「骨肉腫は固まって云々」と(冗談であっても)言えてしまう人物に「名医」も何もないものではあるが…

「ゆり連れ去り事件」① [44~54]




謎の多い事件の深層は…

以下数回にわたり、ゆりの失踪にまつわる一連のエピソードが続くが、(設定の不備によるものかもしれないが)ところどころに辻褄の合わない点が見られる。
この謎に関わる考察は、各論「ゆり連れ去り事件」の読み方』を参照。 (*7)

[53] ゆりの失踪

ここまでの本編に描かれる限りでは、ゆりは自宅(またはその周辺)でいなくなっていると見られ、この問題はその後脅迫文が藤先生宅に送られ、また誘拐されたゆりが藤先生の研究所に戻ってくるという大きく矛盾を抱えた謎を呼ぶ。整合性を取る場合、ゆりが藤先生宅に一人で向ったという仮説で補足解釈するしかないだろう。なお北川宅の描写は本編ではこのコマが最後となる。

[54] 「そのまま二三日たち」

すずらんが地元地域の警察署(町田署、調布署etc.)に通報したのだろう。この間、藤先生宅に通うどころではなかったと思われる。

藤研究所の生徒が大量退団 [55~68]

[55] 藤研究所に向かうすずらん

この場面については、別記考察を参照(各論「ゆり連れ去り事件」の読み方』)。

[57] すずらんへの不満をぶつけるひろみと仲間

[71S3-IV]で片足跳びを競った日から二、三日後のレッスン日と思われるが、全員稽古着に着替えていない(続く[58]の藤先生は稽古着を来て準備している)ところをみると、ひろみたちの扇動でレッスンの集団ボイコットがこの日に強行されたように思える。

[59] すずらんを庇う藤先生

いろいろと問題のある藤先生だが、すずらんのバレエの素質と、何よりも「片足縄跳び二千回」という(自分でも出来ないような)無理難題をこなしてしまった彼女の“バレエへの妄執”を見抜き、それを自分の手で育てていこうという強い意欲を持っている点は評価すべきであろう。
ただ、その意欲が力余って、生徒の確執を収めるどころか、続く[60]で指導者ならば言ってはならない暴言を吐いてしまう。

[60] 「やりたくなけりゃ、やめてしまえ!!」

すずらんの肩を持つあまり他の生徒をあっさりと切り捨てる藤先生 (*8)。直情的に怒り出して行動に出る場面は、後出のすずらんのTVドラマオーディションの一件でも描かれる。

[65,67] 「あはははは」

フキダシなしの活字表記。半ば自棄糞になったような乾いた笑いの印象。すずらん一人のために冷静さを失ってしまっていないだろうか。

[67] 「わが家のくらしは、たちまちピンチだが、なんとかなるよ」

後先を考えていない藤先生のケセラセラ思考だが、あまり楽天的に響かない。かえってすずらんの方が心配し、現実を冷静に捉えようとしている。

[68] 「それに先生、ぶ台は、バレリーナひとりではやれません」

作中ではほとんど展開する場面のない「バレエ芸術のあり方」論だが、その台詞の主が、これまで集団のチームワークを乱す遠因となっていたすずらんである点は、意味深長とも読める。これまでもバレーボールの仲間に溶け込めず、また今回も自分が加わる事でバレエ教室の他の生徒が大量に辞めてしまい、彼女としては「友達を作りたいのに、皆んな離れていってしまう」といった寂しさと孤独を感じていたのではないだろうか (*9)
ここにもまた、すずらんにとっての小さな「さよなら」の呪縛が認められるだろうか。

すずらんの“さよなら強迫観念(イデー・フィクス) [69~73]

藤バレエ団員大量退団事件のこの日より、すずらんは研究所に身を寄せる事になる(その後自宅に戻る描写はない)。「私がバレリーナの道を一歩踏み出す度に、皆がさよならをして行く…」という強迫観念は、以後彼女の心を深く浸食してゆく (*10)。そしてさらにバレエを続ける事への疑念から「やめてしまいたい」とさえ思い詰めてしまう。

「ゆり連れ去り事件」② [74~77]

[74] すずらん宛に届けられるゆりのリボン

ここまでで自宅付近からゆりを連れ去ったとみられる人物からの連絡(ゆりのリボン)が、何故か藤先生の研究所にすずらん宛で届けられる。23区内ではないにしても東京都内の北川家と、海岸に近い藤先生宅はどう考えても混同しようがない。すずらんが藤先生宅に身を寄せている事をどのように知り得たのかも謎で、犯人はすずらんの行動を監視しているのだろうかとすら思える。「ふしぎなことばかりおきるすずらんちゃん」とあるページ柱文句のように、確かに不思議ではある。

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  • 最終更新:2019-03-29 23:18:48

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