72S3-I (小三・正月号)

さよなら星
掲載 「小学三年生」昭和47年正月号
頁数 扉+19p.
総コマ数 65
舞台 北海道の病院/藤研究所/伊沢バレエ団
時期 1971年12月末〜1972年1月
梗概 すずらんたちの到着を待たず母は逝ってしまった。しかし悲しみにくれる彼女に、再びテレーズ先生の公演への出演の話が舞い込む。役を奪われた形になった絵里は、すずらんの妨害を企む。
扉絵 4色/「谷ゆきこ」/「☆かなしいバレエまんが」/正月号のため、着物姿のすずらんとゆりのポートレート。「あけましておめでとうございます」の文言

すずらんに再び訪れた舞台出演のチャンス、しかし…

これまでのストーリー説明 [1~10]

Etoile3-72S3-01-001.png
Etoile3-72S3-01-002.png
正月号でもあり、晴着のヒロイン挨拶[1]と、すずらん自身によるこれまでの粗筋説明 (*1)
しかし、以下の通り整合性に欠ける記述もいくつか見られる (*2)
Ballet-Silhouette-001.png[2] 「パパは、ずっと前、フランスに行ったまま、たよりがありません」
父に関する情報(カット含む)初出。
父とはその後ロンドンで再会するが、その時とこのコマに描かれる父とのイメージが著しく異なる。その点はさて措くとしても、ここで父に抱かれるほしおの姿は、すでに便りの途絶えている初出時[70S1-I]から考えても大き過ぎないだろうか。

Ballet-Silhouette-001.png[3] 「ところが、はじめてぶ台に出るというとき、弟のほしおちゃんが病気になりました」
[70S1-I : 26~7]で着ていた衣裳は、その舞台のためのものか。しかし、3歳からバレエを始めたすずらんが、ほしお発病時点までの推定5~6年近くの間、発表会などの舞台経験をしていないというのは考え難い(そうでなければ高峰絵里が会う前からすずらんを意識していた事の説明がつかない)。ここはせめて「初めて大きな役で舞台に出るというとき」と読みなおすべきか。ほしおの病気による母の渡米で出演できなくなったという事情であれば理屈は通る。

Ballet-Silhouette-001.png[4] 「ママが道でたおれ、たすけてくださったバレエ研究所の藤先生のおせわになることになりました」
交通事故の疑いの濃厚な点をぼかしているのは、すずらんの藤先生に対する配慮の顕われか(あるいはこのように信じ込んでいるのか)。

Ballet-Silhouette-001.png[5] 「かた足で、なわとびを二千回とぶことは、とてもむずかしく、二千回どころか、百回もとべません」
すずらんは最初の挑戦で五百回以上跳んでいる。また二千回をクリアしたのは再挑戦した約一週間後である。

Ballet-Silhouette-001.png[5] 「ところが、ママの病気が重くなり、北海道の病院へ行ってしまいました」
藤先生との出会いの日から昏睡状態が続いており、物語の流れでは、北海道転院は特に病気が重くなった事が理由とは考えられないだろう(ただ、すずらんはそのように理解しているのかもしれない)。

Ballet-Silhouette-001.png[8] 「ところが、なぜか、わたしは主役をおろされ、かわりの人まで決まっていました」
物語の流れから見て、すずらんのドラマ出演部分は「主役のバレエ差し替え場面」と考えられるだろう。

【追記】あるいは「主役の子供時代」としてであれば、多少の容貌の差は許容されるのではないか。

[9] 「おい出されるようにテレビ局を出たわたしを待っていたのは、「ハハキトク」の電ぽうでした」

すずらんが母危篤の報を知るのは、撮影初日の帰宅時である。また連絡は病院からのもの(電報とは特定されない)で、電報で患者家族宅への連絡は(当時自宅電話を引いていない家庭でない限り)普通には考えられない。
もっとも『バレエ星』冒頭では、病院からの電報で母の危篤と臨終(実際は仮死状態)が伝えられる場面が見られ、この時代の“危急を知らせる漫画的表現”としてはまだ有効だったともいえる。

舞い込んだ朗報ーテレーズ先生からすずらんへの出演依頼 [11~30]

[12~3] 伊沢バレエ団からの朗報

思わぬところからの良い報せ。この時点では「なぜ伊沢バレエ団から?」という疑問があっただろう。

[18~9] 「もう、いや。バレエなんかいや!!」

Etoile3-72S3-01-019.png
「自分のチャンスが家族の誰かに不幸を呼ぶかも知れない」というネガティヴ因果論に嵌るすずらん。その横で心配そうな眼差しを送るゆり。しかしその心中は、むしろ姉がそのような心持ちでバレエを止めてほしくないという思いだろう。ほしおも母も、すずらんがステージで輝く事を願い続けていた。その遺志を、幼いながらも自分も受け継ぐべきものと理解している。

[20~24] 「チャンスが不幸を呼んだのではない」という藤先生の説明

母がすずらんのバレリーナとしての大成を願っていた、という事から「テレーズ先生の舞台出演が決まったからお母さんが亡くなったのではなく、最後のクリスマス・プレゼントを贈って下さってお母さんは亡くなられた」と、考え方の視点を変えてみる事を示唆する藤先生。朝三暮四の“物は言いよう”ではあるが、結果としてすずらんの母を死なせてしまい、その臨終にも会わせられなかった事に対して、さすがの藤先生も多少なりとも自責の念を抱いているのだろうか。珍しく指導者らしい思いやりのある言葉を投げかけている。

なお、わざわざ「最後のクリスマスプレゼント」という表現をしているところから、母の死亡日は1971年12月24日と考えてよいだろう。ほしおの死の日と符合するところに“因縁もの”の不気味さを思わせる。

[25~30] 母の死の意味を考えるすずらん

雪の中で見た母の幻が、たとえすずらん自身の主観の世界だったにせよ、母の死を意味ある証しとして受けとめようとするすずらん。

「テレーズ先生の舞台に出られる」という言葉は、すずらん自身の意識の底に眠っていた願望が幻の母の言葉を借りて表れたものなのだろう。すずらんの一途なバレエへの想いがテレビドラマの制作方針を変えさせる契機となったかもしれないように、彼女のバレエへの妄執は、結果として彼女に舞台へのチャンスを引き寄せたと考えてもよいのだろうか。

ママのいない寂しいお正月 [31~35]

[33] 「きょ年はママもいっしょにおいわいしたのに」

一昨年のクリスマスにほしおが死亡、それから間をおかず年末に母の事故と意識不明が続き、正月のお祝いどころではなかったはず。ただ、まだ母の側で新年を迎えられたのがせめてもの慰めだったのだろうか。
せっかくの晴着のおめかしにも涙をこぼすゆり。

[32~35] そんな中でも正月祝いの食卓

Etoile3-72S3-01-035.png
この作品の辞書に「喪中」の文字は存在しないらしい。もちろん藤先生宅で服喪する理由もないが、母を亡くしたばかりの姉妹の前で、床の間の掛け軸「あけましておめでとう」はさすがに無神経ではないか。不幸続きの物語の流れの中で描かれる“めでたさ”は、かえって現世の祝い事へのシニカルな虚無感すら抱かせる。

ところで、ゆりの後ろ姿に元気が見えないのが気になる。[33]で吐露された寂しさもあるのだろうが、あの豪雪の北海道行きの寒さの中、知らぬ間に具合が悪くなっていなかっただろうか。

伊沢バレエ団を訪れるすずらん [36~53]

Etoile3-72S3-01-036.png
この場面のすずらんはフード付ポンチョコートを着用。
この掲載回と同時期の『かあさん星』[72S2-I] に、すみれが似たタイプのコート(フードは付いていない)を着ている姿が描かれている。

Ballet-Silhouette-001.png[42] 「まあ、伊沢先生」
すずらんは電車で偶然逢った女性が、伊沢先生その人である事はこの時点まで解らなかった。

Ballet-Silhouette-001.png[43] 伊沢先生が経緯を明かす
Etoile3-72S3-01-043.png

伊沢先生がすずらんに、自身の身分とテレーズ先生との係わり、工作の目的を明かす。テレーズ先生の無理筋な要請を各方面に極力角を立てずに納める手腕と、社長クラスに渡りをつけられる人脈の豊かさは、彼女が作中で珍しく社会性と分別常識をわきまえた大人の女性である事を表わしている。
ここまでの経緯に見る通り、伊沢先生はテレーズ先生の滞在中、練習場所に自分の研究所を提供するなど、ソレイユ・バレエ団来日公演をサポートしている(「バレエ星」のアリア先生と金井先生のような関係)。また前回にも見られるようにテレビ局にも顔が効き、自分の生徒を番組に出演させる事にも抵抗がない。テレビに関係する舞踏家は評価しないはずのテレーズ先生も、彼女には大きな信頼をよせているようである。おそらくそうした主義主張を超えた度量の深さがこの先生にはあるのだろう。


[48] 「そうでしたね。でも、すずらんちゃんが出えんすることになったので、かわってもらいます」

すずらんの出演が可能となったので、あっさりと絵里を“おつきの役”に降格するテレーズ先生。それだけすずらんを高く評価しているのだろうが、かなりドライ。

[49] 憤懣やるかたない絵里の描写

Etoile3-72S3-01-049.png
荒いアミナワの渦の中で歯をむき出し顔をしかめる表情が怖い。

[51~52] 来日公演の演目

このバレエ作品では三人の王女、そのお付きの少女たちと王様が登場する以外、題名や内容はわからない(まさか「リア王」ではあるまい)。男役も少女達が担当するようである。紹介される共演者で、シモーヌはフランス名だが、マリアとテレサはスペイン・イタリアなど他のラテン系の名前。ヨーロッパ共同体的印象。

[53] 「公えんまで、あまり日がないので」

この言葉から、公演日がこの月の終わりか翌月の初め頃と考えられる。すると後出のすずらん渡英の時期は三月に入って間もない時期とも推測されるだろうか。

絵里の策略 [54~65]

[58~9] 偽の貼り紙

Etoile3-72S3-01-059.png
古典的嫌がらせ。しかし鉢植えの陰に隠れている絵里に気付かないすずらんも迂闊ではある。

[65] 怒って歩き回るテレーズ先生

Etoile3-72S3-01-065.png
苛立ちのゼスチャが漫画的。

F3-Suzuran.png


  • 最終更新:2019-05-11 00:15:44

このWIKIを編集するにはパスワード入力が必要です

認証パスワード