72S3-XI (小三・十一月号)

かあさん星
掲載 「小学三年生」昭和47年十一月号
頁数 扉+14p.
総コマ数 54
舞台 東京・小川バレエ団/病院
時期 前回の続き
梗概 母は列車に乗って去ってしまった。しかし「バレエを思い出した」事は、すみれの心に希望の火を灯した。バレリーナとして名前が知られるようになれば、母は自分を思い出してくれるかもしれない… すみれは張り切って小川先生の教室に出かけた。しかし、その小川先生は怪我をしてしまい、教室は閉鎖されることに。国内有名バレエ団への移籍が決まり得意げなみわ子を除いて、教室の生徒は皆、その行先を考えあぐねていた。すみれはターちゃんを連れて小川先生の見舞に訪れる。「先生はね、罰が当たったのよ…」行方がわからなくなったすみれの母の事で、先生は自分自身を責めていた。すみれはそのすべてを了解した上で「今の先生は昔の先生とは違います。だからこそ私は、先生のもとでレッスンに励んできたのです」と慰める。そして、視力の障害を抱えながらも秀れた活動を続ける舞踏家アリシア・アロンソの例を引いて、決して諦めずに療養するように、と先生に語るのだった。すみれの言葉に希望を抱く小川先生は、すみれに大阪の花園先生のもとに行く事を勧める。ただ、ターちゃんまでは引き取れない… その話をドア越しにターちゃんは聞いてしまった。「私がいると、お姉ちゃまはバレエができないのね…」ターちゃんは姉の将来を想い、ひとり病院を後にして、どこかへと歩いて行ってしまった。
扉絵 単色/「谷ゆきこ」/「★かなしいバレエまんが」

小川先生の入院

これまでのお話 [1]


すみれの決意「ママを探す道は…」 [2~5]


小川バレエ団の解散 [6~20]

[6] 「よく日、すみれちゃんは、はりきって、小川先生の所へ出かけましたが…」

静岡からは夜遅い電車で帰ったのだろうか。この「翌日」も前後関係による時間経過を考慮する余地がある。
母の失踪の間、教室に通うどころではなかったのだろう。

[7] 「たいへんよ。小川先生がけがをしたんですって」

[72S3-X : 3]から、小川先生が良子と会って後、一月近い時間が経過していると見られる。その間、かつての僚友の失踪に加え、そのためにすみれの欠席が続いた(と思われる)事が相当のショックを与え、注意散漫になっていたのが原因だろうか。

[8] 「もうおどれないんだって」「ここも、きょうでおしまいってわけね」

加えて研究所も閉鎖となってしまうようである。生徒たちは早くも次の受け入れ先を探している。

[9] 「わたしは、松原バレエだんへ行くことになったわ」

日本一のバレエ団らしい。松山バレエ団のもじりか。
小川先生の怪我が何日前かは明示されないが、それにしても手回しの良い移籍で、“機を見るに敏”なところはみわ子の世渡り上手な側面ともいえる。

なお、みわ子は最後まですみれに対して対抗意識を抱き続けているが、作中でバレエの実力を競う場面は遂に描かれない。
『まりもの星』のかな子と同じく実質的には雑魚キャラ扱いか。

[10] 「よくはいれたわね。あそこは、なかなかはいれないのに…」

すみれは素直に感心しているのだが、この言葉の表現は地雷。
たとえ悪意はなくとも、実生活では注意したいところ。

[11] 「あら、しつれいね。わたしの実力じゃむりだというの?」「そんなつもりでいったのでは……」

案の定みわ子は引っかかるが、明るい前途で機嫌が良いためあまり問題にしない。

[14] それぞれの想いの生徒たち

ここに描かれる5人のうち、中央の少女が唐草模様の風呂敷を担いだ姿なのが面白い。いかにも「里へ帰ります」といった風情。

[15] 「ああ、どこかいいバレエ団ないかな」「これはたいへんな問題よ」

〈『星』シリーズ 〉的には、『白鳥の星』『バレエ星』の主人公たちがこの時期に再建している事になっているバレエ団(「和田バレエ団」「春野バレエ団」)がおすすめ。 (*1)

[16] 「すみれちゃんはどうするの?」「わたし… こまったわ」

すみれとしては、続くみわ子の指摘にある月謝の問題があるとしても、それ以上に小川先生の事を案じている。

[17] 「そりゃそうよね。小川先生のように、お月しゃをただで教えてくださるところって、そうないものね」

この件では以前ほかの生徒も揶揄していたことはあるが、[73S3-VI~VII]の月謝袋騒ぎ解決時にはすでに氷解している。それを今この場で蒸し返すのは悪意が透けて見え、かえって周りはドン引きしている。

[18] みわ子をとがめる生徒たち

[20] ライバル退場

以後、目立つ対抗相手 (*2)は本作に登場しない。

「アリシア・アロンソのように…」ーーすみれは先生を励ます [21~41]

[21] 「その日の夕方」

静岡で母を見失った翌日夕という事になるが、この日にターちゃんが行方不明になる事を考えると、季節感に齟齬が生じる。

[32] すみれの台詞内の「ママ」

すみれの「ママ」という呼び方はこの回までで、大阪に舞台を移してからは「おかあさん」となる。 (*3)

[36] 「九月に来日した、キューバのバレリーナ、アロンゾさんは、ほとんど目が見えないそうではありませんか」

アリシア・アロンソ Alicia Alonso (1920~2019) (*4)の初来日(1972年9月)がここで言及される。実在の舞踏家について言及される事の極めて少ない〈『星』シリーズ 〉 (*5)にあって、特にストーリー展開にリアリズムを持たせている本作らしい、タイムリーな話題といえる。

[37] 「でも、東京の文化会館での公演では、カルメンを、みごとにおどりぬいたそうじゃありませんか」

初来日の1972年9月14・15日、アリシア・アロンソは東京文化会館における東京バレエ団初秋特別公演に招聘され、『カルメン』(音楽:ビゼー/シチェドリン)【動画】を踊り絶賛されている。

この話題が出る事で、すみれが小川先生を見舞うこの日が、少なくとも9月の上記来日公演以降という事になる。すみれの話しぶり(「〜そうじゃありませんか」)では直接舞台を観てはいないようだが、病める母と暮らす日々の中での希望として、この舞踏家へのシンパシーを育んでいたのかもしれない。この「目が見えない」ハンディは、その後すみれが(一時的にも)負う試練の伏線ともなっている。

大阪・花園バレエ団への移籍話…そしてターちゃんの複雑な想い [42~54]

[49] 「わたしがいると、おねえちゃま、バレエができないのね」

先立つ[4,5]で「すみれが立派なバレリーナになる事」が「行方不明の母が見つかる事」に繋がる事をターちゃんは認識している。

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  • 最終更新:2019-11-29 17:15:51

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