72S4-X (小四・十月号)

さよなら星
掲載 「小学四年生」昭和47年十月号
頁数 扉+10p.
総コマ数 23
舞台 ロンドン、シティ劇場
時期 1972年秋
梗概 いよいよ『白鳥の湖』公演日が翌日に迫り、劇場での舞台稽古が進められている。すずらんの成功を確信するゆりと藤先生。しかしその舞台袖で大道具が転倒、その場に居合わせた絵里が巻き込まれそうになる。その時、ゆりは絵里をかばい、かわりに自分が事故の巻き添えを受けてしまった。微かな息の下で、絵里にすずらんと仲良くしてほしいと願うゆり。そして…
扉絵 単色/「谷ゆきこ」/「★かなしいバレエまんが」/ゆりを抱きしめ涙するすずらん。本回の結末をダイレクトに描いている。

舞台裏の事故と、ゆりの自己犠牲

すずらんのバレリーナとしての自覚の確立をみて、ここに至ってようやくバレエ漫画らしい描写や用語の蘊蓄が記される。これまでの物語がまさにバレエを“ふろく”として扱ってきたかのようである。

これまでのお話 [1]

あらすじ情報の不正確さは相変わらずである。

[1] 「すずらんちゃんがバレエをやろうとした時は弟のほしおちゃんが、イギリスのバレエ団からしょうたいを受けた時はママがさよならしてしまったのです」

  • すずらんはほしおの生まれる前からバレエを習っている。
  • 母の死はフランスのソレイユ・バレエ団来日公演出演の前。

この頃の作者の絵柄の変化もあるが、ほしおの表情が既出よりも大人びた雰囲気に描かれている。

『白鳥の湖』公演前日のプローベと事故 [2~23]

[2] 「初めに、2、4幕からやります」

『白鳥の湖』の湖の場面。オデットの登場する重要な場面からのリハーサルとなる。

[5] リハーサル舞台

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見開きにオケピット。プレーヤーは、プローべでドレスアップは普通しない。弦配置に多少難はあるが『バレエ星』パリ・バレエ団の場面の描写よりはイメージ的には許容されるだろうか。

王子役のモーリス・ブルーネ君は、あどけない顔立ちを残した美少年。ここに描かれる王子の衣装がバレエ舞台で多く見られるタイツ姿でないのは珍しいが、次回の本番舞台では別の衣装(タイツ姿の王子)に変わっている。

[6] トゥール・アン・レール Tour en l’air

「はずみをつけてとび上がり、一回転する。」日本では誤って「ザンレール」と呼ばれる事がある (*1)

ところで、このコマの場面は「王子とオデットひめの、愛のデュエット」とあり、第2幕 No.13-5「パ・ダクシオン(グラン・アダージョ)」の部分だろう。ここでトゥール・アン・レールの振付を入れるというのはちょっと思いつかないのだが…

[7] グランジュッテ Grand jeté

「力強くとび上がり、空中でとるうつくしいポーズ。」

[6][7]ともに、作中唯一といえる“バレエ・カンパニーらしい、まともな指導場面”である。

[8] 「りっぱだ。もうぼくが教えることはなんにもないよ」

すずらんが藤先生の生徒としてバレエの指導を受け始めたのは、母の事故での偶然の出会いから月日を隔てた1971年の春頃で、その頃にはすでに相当レベルの踊りを見せている。そしてこの年の春以降はイギリスのバレエ団で訓練を受けており、正式に藤先生の“門下生”として学んだ期間は決して長いわけではない。
その間にこの人物は、すずらんの意志を精神論とパワハラで拘束する以外の何を教えていたのだろうか、と問い質したいところではある(読者の目に触れられない部分があるにせよ)。ゆりならずとも「ほんと」とつい呟いてしまう。

[11] 倒れかかる柱

大道具の柱なのだろうが、異様な高さと横に振られたかのような流線の軌跡が謎。倒れたのか、落下なのか。そもそもこの柱のみがなぜ舞台袖(絵里の想定される立ち位置[下手袖奥]や、前コマのゆりと藤先生の場面[下手袖口]から)に放置されていたのだろうか。
ゆりの移動する方向(舞台下手袖から振り向き[10]、袖奥に走り込む[11~2])から考えると、絵里は舞台側に背を向けているように見える。ポーズを取った立ち方の理由は判らないが、姿見などがあったのだろうか。自分の姿に気を取られて柱の倒れてくるのに気付かなかったのかもしれない。とにかく一瞬の出来事である。

[12] 擬音「ボイン」

この擬音は[70S2-06 : 17]でも用いられている(過去の谷作品にも用例は多い)。ゆりと絵里の体格差から、相当な勢いで体当たりをしたものと思われる。ゆりの必死さがうかがえるだろう。

[13] ライト

はずみで倒れたライトが、ゆりの頭などを強打したものと思われる。

[16] 「わたしのせいよ。わたしを助けようとして……」

今まで“自分のために生き、他人の存在も自分のためにあった”絵里は、咄嗟のゆりの行動に、その逆の“他人のために生き、自分の存在を他人のために捧げた”自己犠牲を見る。その根本は、今まで否定し続けていたすずらんの他者を慮る優しさや、時として敏感すぎる感受性に連なるものでもあり、それはアーティスト、特に舞踏家にとって、何よりも勝る美点なのではないか…
絵里のそれまで信じ拠り所としていた世界観が崩れた瞬間でもある。この後の悛改の場面[20]に繋がってゆく。

[18] ゆりを抱き起こすすずらん

打撲などのショックで倒れた場合、患者を無闇に揺すったりしてはいけない。

[19] 「絵里さん、おねえちゃまとなかよくしてね」

臨終の息の中で、絵里にすずらんとの和解を求めるゆり。絵里はここに至って自分の今までの過ちを涙とともに悔いるが、「幼い命を賭してまで贖われるべきものだったのだろうか」という読者の割り切れない思いも過る。

[20] 「ごめんなさい、いじわるばかりして、ごめんなさい」

絵里の描かれる最後のシーン。悛改の涙 (*2)とともに、彼女もここで物語上から“さよなら”してしまうのである。




「かなしいバレエまんが」から次の時代へ

最終見開きページ右ハシラに「小四」十一月号からの新連載漫画『赤い靴』(もりゆきこ・画)の広告。谷ゆき子の「かなしいバレエまんが」から掲載漫画の傾向と時代は変わりつつある。

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  • 最終更新:2019-03-30 00:14:49

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