73S3-I (小三・正月号)

かあさん星
掲載 「小学三年生」昭和48年正月号
頁数 扉+16p.
総コマ数 63
舞台 大阪
時期 冬・年末〜年明け
梗概 洋装店の店先で泥棒と疑われたすみれ。その様子を見ていた花園バレエ団の島田と仲間たちは、すぐさま先生に報せに立ち去る。大騒ぎになる中、その洋装店の女社長が「手袋の山が崩れて籠の中に入った」とすみれの潔白を証明、丁重な謝罪とともに「お詫びの印に」と、すみれに小さな手袋を包んでくれた。バレエ団に戻ると、入り口で待ち構えていたターちゃんが、すみれが泥棒したと誤解して非難する。練習室の扉にも「泥棒するような人とは一緒にレッスンを受けたくないから入るな」という張り紙が貼られてしまう。「自分が正しいのならお入りなさい」ーーすみれは花園先生の言葉に堂々と練習室の扉を開けた。案の定、練習室では生徒たちの非難に晒されるすみれだったが、花園先生が洋装店の社長からの連絡を受けて潔白を証明してくれたおかげで、ひとまず皆の誤解は解けたようである。そしてターちゃんも、もらった手袋の暖かさを喜んでくれた。年明けの日曜日、すみれとターちゃんは街に出かけ、路上で“白鳥”の衣装で踊るサンドイッチマン(宣伝員)を見た。その女性は、冬の寒空に凍え、路上に倒れてしまう。仮面を被っていたため気づかなかったが、その女性こそ静岡で行き違って以来行方のわからなくなっていた母だった…
扉絵 単色/「谷ゆきこ」/「★かなしいバレエまんが」

洋装店の泥棒騒ぎと、千日前路上の“白鳥”

これまでのお話 [1~2]


女社長の心遣い [3~21]

[6] 万引き騒ぎを目撃する花園バレエ研究所の生徒たち

前回初出の島田と仲間の生徒たち。これからレッスンに向かうところだろうか。午後の遅いレッスン時間とすれば、この騒動は日中まだ陽の高い時間と考えられる。

[9] 白鳥社長

このコマ初出。仕事に対して誠実な姿勢を持つスワン洋装店の女社長。

[10] 「おじょうさまに、何というしつれいなことをするんです」

誤解して騒ぎ立てる男性店員を堂々とした態度で一喝する姿は大阪の“おかん”の印象を強くする。
ただし、この白鳥社長の作中台詞では一貫して標準語が用いられている。

[11] 白鳥社長の証言「わたしは見ていました。手ぶくろの山がくずれて、かごの中へはいってしまったんです」

台詞とは関係ないが、前景に描かれる社長の左手薬指の指輪が強調された描写。背景で驚く店員に対する“より高い地位からの叱責”の印象を与える。

[12] 「気がついたらかえしてくださるだろうと思って、わたしはだまっていました」

何気ない台詞だが、単に「人の善意に依り頼」んでいるわけではなく、この社長が「すみれの目に見えない“人となり”を外観と行動だけで見抜き、理解している」点に着目すべきだろう。
経営者としての長い経験を背景とした人間観察のこなれた眼がここに感じとられる。

[14] 「えらいすまんことしました。もうしわけおまへん」「まちがいだってわかってくださればいいんです」

常に他人の過ちに対して寛容に接するすみれ。単に優しいだけではない、生まれ持った心の広さと人へのおもいやりの深さが、彼女に人の運をもたらしている。白鳥社長がその後、この大阪ですみれ姉妹の庇護者となるのも、彼女のそうした性格ゆえであろう。

[15,16] 公衆の面前で頭を下げる白鳥社長

[15]「みなさん、わたくし、スワンようそうてんの社長でございます。今おききのようなじじょうで、このおじょうさまには、たいへんしつれいなことをしてしまいました」
白鳥社長の経営者としての矜持と度量の大きさを示す場面。店員の誤解による騒ぎを、たとえ野次馬たちの前であっても自分自身の過ちとして宣言し謝罪する姿勢は、この店に対する客側の信頼感を高めることにも繋がるのだろう。

[16]「おじょうさま、どうぞおゆるしくださいませ」
相手が子供だからといって適当にあしらうのではなく、対等な“顧客”として向かい合っている。この誠実さが、その後のすみれとの縁を繋ぐものとなる。

[16] 野次馬たち

「あんなに山のようにつみあげるからいかんねんわ」「ほらほら、また山がくずれて、道におちてるわ」「よごれたら売り物にならへん」
最後の台詞は、いかにも商人の街らしい。

泥棒騒ぎの余波… [22~53]

[22] 花園バレエ研究所前のターちゃん

所在無く歩き回りながら待つ妹の姿は『バレエ星』『さよなら星』にも見られる。

[24] すみれに対して誤解し憤るターちゃん

島田たちに嫌な事を言われて悔しかったのだろうか。また、物事をあまり深く考えず、シンプルな正義感で怒り出すのは今回が初めてではない。

[33] 張り紙

「わたしたちは、どろぼうをするような人とは、いっしょに、レッスンをうけたくありません。はいらないでください。 生と一同」

この文面を書いたのは島田たち三人組と思われるが、東京から来た余所者のすみれに対する忌避感が生徒全体に漂っていたのも否定できないだろう。

[36] 「自分が正しいのなら、おはいりなさい。もしほんとうなら、おへやにもどるのね」

この時点では、まだ白鳥社長からのお詫び電話は来ていない。花園先生の言葉はドライだが、すみれの取るべき姿勢をはっきりと教えている。

[48] すみれの誤解が解けた後の生徒の態度

いい加減な噂を流した島田たちをとがめる者、自分の誤解を素直に謝る者、誤解した事を言い訳する者。

[53] パンダの縫いぐるみ

同時期の『まりもの星』で描かれるパンダのマスコットから、徐々に丸みを帯びてより実物に近い形状で描かれている。

冬空の下に舞うサンドイッチマン [54~63]

[54] 時間経過
新年を迎えている。

[55] 「ねえ、さっきの白鳥のいしょうを着ておどってたサンドイッチマンのことやけど……」

喫茶店のすみれとターちゃん
場所は華やかな内装の喫茶店で、まだ子供であるすみれとターちゃんが入るには大人の同伴者が必要な雰囲気。
[56]の台詞から、すみれの後ろの席で話している女性たちはバレエに関わっている様子で、同じ花園バレエ団の先輩たちだろうか。年明けのお休みの日に、この女性たちに連れてきてもらっているのかもしれない。

サンドイッチマン
今では死語となった広告宣伝人の呼称。後出のように、奇異に響くが女性に対しても用いられた。

[56] 「うち、15年バレエやってるけど、あんなにおどられへんわ」

すみれの年齢よりも長いバレエ歴の年上の女性(18~20代前半か)ということになる。

[59,60] すみれのサンドイッチマンに対する感情

[59]「あれだけおどれる人が、どうしてあんなことを」
[60]「おねえちゃま、見に行かない?」「だめ。バレエはげいじゅつよ、見せ物じゃないわ」

すみれのバレエに対する姿勢が窺われる台詞。バレエを単なる見世物、あるいは宣伝の手段として用いる事に対する忌避感があるのだろうか。

『さよなら星』では、表面的な華やかさを見せつけるTVドラマに対してこのような見方がなされていたが、本作ではもっとリアルで身近な生活感での対比となる。
学年誌編集部の価値観も反映しているといえるが、バレエを崇高な芸術として大切にするあまり「ステージ以外のバレエは芸術ではない」というものの見方に向かいかねない点は、あの『さよなら星』藤先生の空虚な芸術至上主義にも見られる危うさと言えないだろうか。

その意味ではすみれもまだ子供であり、世の中をもっと広い視野で見直してほしいもの、とも思う。

[61] 「お気のどくに。何かじじょうがあるんでしょうけれど、このさむいのに」

「15年バレエやってる」と[56]で話していた女性。先のすみれの台詞[59,60]と同じく、秀れた技量を持った舞踏家が路上宣伝員の仕事に携わる姿を「お気の毒」と見ている。

サンドイッチマンという存在に対する“ある種の感情”は、続く[71S3-II : 22]の新聞記事にも顕れているが、昭和40年代という時代性も考慮に入れるべき部分ではあるだろう。

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  • 最終更新:2019-12-21 10:51:19

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