ママの星 |
掲載 |
「小学二年生」昭和49年四月号 |
頁数 |
扉+お便りコーナー+17p. |
総コマ数 |
47 |
舞台 |
病院/つつじの家/湖畔 |
時期 |
冬〜春 |
梗概 |
つつじは病の床に臥している。夢の中で、貧しい家庭とアルバイトで遣り繰りしたお金でバレエのレッスンを受ける自分の姿を見る。退院後、つつじは母と湖の畔で踊る事をせがむ。「娘の残された命が短いのでは…」と心配する母は、その願いを受けて湖畔に向かう。踊っている最中、つつじは蝶を追っていくうちに姿を消す。 |
扉絵 |
4色/「かなしいバレエまんが」 |
つつじと母、湖畔のデュエット
☆ 読者の手紙コーナー
「つつじちゃんってとてもかわいいですね。お友だちになりたいな」(東京都)
「つつじちゃん、ぎゅうにゅうはいたつ、たいへんですね。がんばってください」(大阪府)
「つつじちゃんがバレリーナになれるように、おいのりしてあげます」(北海道)
「つつじちゃん、いじわるな子になんか、まけないでください」(愛知県)
当然ながら、「小一」掲載分までの内容しか知るべくもない読者は、
本回以降もつつじが牛乳(ヤクルト)配達を続けながらバレエを習うものと思っている。寄せられた手紙も前回までの物語進行を踏まえたものである。
(*1)
★ つつじの夢 [1~14]
[1] 病床の少女
高熱だろうか、ベッドで息も絶え絶えにうなされる様子の少女。彼女こそ前回までアルバイトに勤しみバレエの稽古に通おうとしていた、あのつつじである。なぜ病気(それも極めて重篤そうな)なのかは説明されない。
アルバイトとレッスンの両立で身体を壊したのだろうか…
アルバイトの途中で事故に遭ったのだろうか…
教室の生徒からの意地悪で大怪我か何かしたのだろうか…
それとも…
…などと、前回までと、この場面だけを見ただけの読者にとっては、大いに気を揉む箇所。
頭に乗せられている氷嚢は、病気で寝込む姿を表す漫画的記号でもある。
[2] 「こんやがあぶないかもしれません」「がんばるのよ、つつじちゃん」
つつじの寝ているのは病院のベッドで、しかも後述される状況から長期の入院だったようである。前回読んだバレエ教室通いは何だったのだろうか。(それこそ前ページの「読者のおたより」のように物語を読み進めていた)「小一」誌から継続しての読者は、想定外の展開に困惑するばかりである。
前回まで洋裁で家計を支えていた母は、つつじの枕元で看病している。この場面を見る限りでは、
[74S1-II : 6]の父の言葉に反して、
身体を壊したのはつつじの方だったように見える。
[3] 「つつじちゃんは、いろいろなゆめを見ていました」
以下[9]までは、病床のつつじの見た夢の内容となる。
[4] 「つつじちゃんのおうちは、お金がないのでバレエがならえません」
[74S1-I]および[74S1-II : 1~9]の内容。背景に巻尺のかけられたトルソー(母が裁縫の仕事に使うものだろう)が置かれている。
屋台そば屋主人の父の姿は描かれない。
[5] 「それで、つつじちゃんは、ぎゅうにゅうはいたつをして、バレエのお金をためました」
[74S1-II : 10~20]および[74S1-III : 1~13]の内容。描かれる服装は、アルバイト始めたての頃よりは寒さの和らいだ季節の印象。
[6] 「バレエはならえても、くつをかうお金がありません」
[74S1-III : 14~35]の内容。意地悪な生徒たちに笑われるところまでは前回までのあらすじを正しく辿っている。
[7,8] 「上きゅう生のおねえさんが、つつじちゃんに、くつをくださいました」
[74S1-III]のまでの物語で描かれない、上級生の思いやりエピソード。当初の設定で予定されていたプロットの片鱗かもしれない。
心温まる場面で、ストーリーとして描かれる事がなかったのは残念である。
[9] 「つつじちゃんは、もらったバレエシューズをはいて、おかあさんとみずうみのそばでおどりました」
ここから夢らしい展開。「もらったバレエシューズをはいて」とあり、前段で語られた出来事と、朦朧とした意識の中で混濁しているような感触を受ける。
画面は湖の畔、つつじと母が“白鳥”のバレエ衣装(二人ともティアラを付けている)で踊る姿を描く。現実的には奇妙な光景だが、夢の中でもあり、その意味ではそうそう違和感があるとも言えない…もちろん「夢の中ならば」の話であるが。
[10] つつじのうわ言「おかあさん、すてきよ。じょうずだわ」
ここで読者はつつじの夢想から現実へと引き戻される。つつじの母ならずとも「はっ」となる箇所。
[11~13] 目を覚ましたつつじ
[11]「おかあさん、わたしね、ゆめを見ていたの」
[12]「わたしの今のおうちじゃなくて、小さい小さいおうちなの」
[13]「バレエをならいたいけど、お金がなくてね、それで…」
( ゚д゚) ・・・
(つд⊂)ゴシゴシ
_, ._
(;゚ Д゚) …!?
「今のおうち」は小さくない、ということだろうか?
「バレエを習うお金がない」わけではない、ということだろうか?
まさかの夢オチ…?
[74S1-I~III]に描かれたエピソードは、
[74S2-IV]以降では
実はすべてがつつじの夢の中の出来事だったという事になっている。このかなり無理やりな方針転換は、編集側の意向を強く反映したものと思われ、それに伴う設定上の破綻は、破綻それとして捉えるべきだろう。しかし、完成した物語として全編を俯瞰し直した場合、別の意味付けをもって読み直す事も可能ではある(この事については
総論にても触れてある)。作品は完成形として最終的に世に出た形を見てトータルに判断すべきともいえる。
そして(ある意味では残念な事に)、この強引な路線変更により、蕎麦屋屋台主人の父や、幼い妹のツーちゃんは以降の物語からは姿を消す。
(*2)
★ つつじの退院 [15~28]
[27] つつじの家
前コマで母もつつじと共に後部座席に乗っているので、この車は別に運転手が付いている
(*3)。家の敷地内に直接乗り入れており、庭がそれなりに広く、車庫も敷地内に備えられているのだろう。
確かに「小一」連載分で描かれた「小さい小さいおうち」ではない。
[28] つつじと猫
〈『星』シリーズ 〉で登場する小動物では『バレエ星』『かあさん星』の仔犬、『バレリーナの星』のハムスター、『アマリリスの星』の森の動物たちなどがあるが、猫は意外とありそうでない
(*4)。おそらくこのコマはシリーズで唯一描かれた仔猫だろう。
★ 湖畔で踊る母と娘 [29~47]
[33] 「だめですよ、おかあさんは。子どものころおどっただけですもの」
[74S1-I~III]で描かれた母の設定と異なり、本回以降の母はバレエ経験者である。しかしその後「黒鳥のグラン・フェッテ」を踊った話などが描かれ、母のバレエ経験のレベルはとてもではないが「子供の頃踊っただけ」とは思えない。読者を混乱させる台詞のひとつ。
[38~40] 湖までの移動手段は車
退院して自宅に戻る場面にも言える事ではあるが、運転手は誰だろうか。
- 自家用とした場合、つつじの家のお抱え運転手なのか
- あるいは、物語には姿を見せないが存在する(かもしれない)父親なのか
- あるいは、この場面では母自身の運転なのか
- あるいは、自家用車ではなくハイヤーなのか
[41] 湖のほとりのつつじと母
つつじはともかく、母まで白鳥のバレエ衣装を着ている。もともと所有していたのか、このために用意(新調orレンタル)したのか。
屋外でのバレエ衣装姿(特に『白鳥の湖』のコスチューム)という場面は、〈『星』シリーズ 〉では当たり前のように描かれる場面ではあるものの、本作では先立つつつじの夢の場面とのつながりから、この非現実的な情景に「またこれも夢なのではないか」と読者を錯覚させる場面ではある。
以降の物語展開でも、夢から覚めたはずのつつじの実人生に“夢さながら”の奇想天外な出来事が降りかかってくるが、読み進めるうちに「どちらが夢なのだろうか」と読者を悩ます作劇術は、胡蝶の夢から覚めた荘子が「私は人間なのか、蝶なのか」と自問する
(*5)“物化”の概念を連想させる。
無邪気に母を踊りに誘うつつじに対し、恥じらいを含むような母の表情。娘にせがまれてとはいえ、さすがに屋外のチュチュ姿にはためらいがあったのだろうか。
そうしたディテールにやけに生々しいリアリズムが挟まれているようである。
ところで、背景に山並を臨み、人里離れたのどかな場所のように見える。しかし、次回以降の描写を見るとどうもそういうわけでもなさそうである。
[42] 「おかあさんすてきよ。じょうずだわ」
[33]で「子供の頃踊っただけ」とためらいがちな様子だった母を励ますようなつつじの言葉。後出場面では難易度の高い『白鳥の湖』の黒鳥を踊っている事が明らかにされるなど、母のバレエ歴は娘の側から「じょうずだわ」と言われるようなレベルではないはず。
画面は[9]のつつじの夢をそのまま再現するかのような情景(「おかあさんすてきよ…」の台詞もそのままである)。物語上は現(うつつ)のシーンになるはずだが、読者には[3~9]の夢の続きのような錯覚を起こさせる。
[43] 蝶を追って走るつつじ
本回のつつじが退院するパートから以降しばらく、物語は母からの視点で進んでおり、つつじがなぜ湖畔で踊る事を母にせがんだのか、また蝶を追っていく唐突さなど、つつじの行動の理由が読者によく掴めない場面に遭遇する。
[44~46] 姿の見えなくなったつつじ
ゆえにこの3コマ分では、「母の視点」から“娘がいなくなった”状況として描かれる。これは『バレエ星』以降の〈『星』シリーズ 〉で描かれる“娘の前から姿を消す母”あるいは“母の側からの離別”という「娘の視点」の物語からの切り口を変えたものともいえるだろう。
[47] 穴に落ちたつつじ
深い穴に落ちるエピソードは『さよなら星』にも描かれるが、本作のつつじについては、この「深い穴」と「舞台せり(奈落)」への落下が物語の(そしてつつじの存在自体の)象徴的な鍵となる。
断面図で描かれる穴はページ見開き横組みの大ゴマで描かれている
(*6)。シルエットで描かれる地上の閑散とした風景と、壺の底のように暗く深く、ひんやりとした印象を与える穴の深み。そこに小さくうずくまるような姿のつつじは、再び死の沈黙に誘われて眠るかのようである。
この場面の含意の詮索は、項を改めて再論する。